日本人として初めてバンジョー奏者としてアメリカで認められ、グランド・オール・オープリーにも出演した野崎謙治マスターのLost Cityは、当時、ブルーグラスを中心にセミプロが集うカントリーウェスタンのメッカであり、アマチュアバンドにとっての登竜門、試練道場、正に「虎の穴」の存在であった。
西高東低のブルーグラス界の状況を背景に、全国からその筋で認められた者達のみが、高度な演奏技術を競い、楽しむという、ある意味尖がった、独特のムードを漂わせる空間であった(アメリカのレコード会社とのパイプもあり、70年以降、Blue Grass 45を手始めに、そのハウスバンドを本土に送り出した…Blue
Grass界では知らぬはもぐり、と称された)。
学生バンドTUTの真剣勝負の修練道場であり、常に、覚悟を決めて登場する緊張の舞台であったが、演奏さえ終われば、青春真っ只中の楽しい、楽しいPlay Groundであった。 野崎さんのManageの下、かなり頻繁に、ウエスタンやフォークの大規模な定期的演奏会の主催や外国人ミュージシャンの招聘も行っていた。
店としては、その保有レコードの多さの他に、やはり、ハウスバンドの生演奏が有名であり、九州や四国、全国あらゆるところから、ブルーグラスファンやカントリーファンが、演奏を聴きに来ていた。 小さな、30人も入ればギュウギュウのこのライブハウスが、週末は一杯になり、店の外の路地に多くの客があふれていた。 正に、プロ以上の演奏家がゾロゾロ揃っていた。 万人が日本No.1
と認めていた大塚ブラザース、当時大学バンド対抗戦の常勝軍で寥・李両君を有する桃山大学の「The Blue Glass
Ramblers」、カントリーの福原さん、女性にも人気の渡辺ブラザース(大塚さん達とLost City Cats、Blue Grass45を結成)、珍しい石田夫妻バンド、等々。特に、器楽の演奏に関しては、正直、本場のアメリカを凌ぐといっても過言で無い面子が揃っており、東京からも演奏者を含む多くのお客さんが、このLost Cityを訪ねてきた。
ただ、フォーク系のBandは、我々TUTと、Four Fresh MenなどもやっていたFolk Emysの2Bandのみという、要は、正に100%近くブルーグラスバンドが中心のライブ体制であった。
Western風の新しいBandを結成した高石友也さんも、丁寧に演奏の可否を申し込まれ、数回Lost Cityで演奏し、頑張っていたのを思い出します。高石さんとTUTは、神戸と和歌山の労音コンサートで一緒のステージにも立ちましたが、高石さんはどこから見ても、真面目で謙虚、本当に誠実な人柄が表れる御仁でした。
その他、手塚治虫さんの最初のアニメ大作“千夜一夜物語”の音楽を演奏した日本最強の本物R&Bバンド“Helpful
Soul”がLost Cityの常連であったのも面白い話。彼らとは、TUTとして、2回ほど同じコンサート・ステージで競演したが(勿論、1部2部と分かれていた)、当時から彼らは、摩訶不思議な存在であった。彼らのリードギタリストのショーちゃんが、「本当は、自分は、The Bandのようなバンドをやりたかったんだ。」と我々につぶやいたのが、唯一の、音楽の接点と納得もし、感心したのを覚えている。(当時、ボブディランのバックをやっていたThe Bandは日本では殆ど知られていなかった)。 もう一つ感心したのは、彼らはどんなステージでも(高額ギャラに釣られて、TUTと2バンドでこなした、老人と子供を前での百貨店屋上のイベントでも、耳をつんざく音を出し)、全く手抜きをすることなく、自分達の思う音楽を発信すべく、時間一杯、力一杯、汗まみれにBestの演奏をする、正に、真のプロであったことである。 彼ら4人もLost Cityをねぐらとした外人学校マリストの繋がりであったが、音楽も外見も全て、とにかく、強烈な印象であった。
カウンターから伺い見る世界。たわいない揉め事、女々しい男、喧嘩する若者、盗癖のある少年。 友情と裏切り、商売の厳しさとオーナーシップとの確執。酒、タバコ、外人と日本人、甘い学生さんと社会人。 男の世界と女性の存在。 華やかな演奏舞台と業界の無情。夢や楽しさ、純粋な心と、若さ故の暴走。 憧れと妬み。 悲喜こもごもの風景がある、良くテレビに出てくるような、人間模様の入り組んだ、小さな、小さな、ちっぽけな世界。でも、確実に、70年当時の日本の若さと混沌を象徴する、世の中の縮図のような空間がありました。
(閑話)
Lost Cityのお客として、珍しい人も来た。 あの“モーレツ!”の小川ローザさんが、コマーシャルが大ヒット直後の絶頂期に来ました。 可愛い服で、小柄だけど、やけに綺麗な女性が、真ん中の席に座ったな、と思った瞬間、小川ローザさんと判りました。 美しい! 胸がドキドキ、ワクワクしました。 その日、我々TUTも演奏が入っていたのです。 やった! これは頑張らねばと異常に興奮したのを覚えています。 店の端っこでウロウロしたのを覚えており、チョロチョロ判らぬように、壁越しに垣間見ると、本当に後光が指すように綺麗でした。 そして、しばらくして、我々の出番近くになりました。マイクや楽器セッティングの準備をすべく、“行くぞ、ローザ!”と、満を持して初めて正面、まともに客席の彼女を見ました。 でも、何故かしら、その瞬間、彼女は消えてました。 トイレ立ちに淡い望みをつなぎましたが無駄でした。 彼女のいた席は空いたままでした。 いつ、どのように帰ってしまったのかも見届けられませんでした。 深い失望だけを覚えています。 Lost Cityは、有名な女性客も多く、あのジャズの女王、マーサ三宅さんも東京から来られました。 彼女は、どっしりと真ん中に座って、じっくりと、しっかりと、我々バンドの演奏を聴いてくれました。 でも、やはり、小川ローザにも聴いて見て、長くいて欲しかった。
蛇足はさておき、Lost Cityは、多くの傑出したミュージシャンを輩出しており、TUTと同世代の、前述の大塚弟の章さんは今でもアメリカで演奏家として活躍されていますし、渡辺兄弟の兄敏雄さんは、日本ブルーグラス会の取り纏め役、弟・三郎さんは今も評論家として、Josh大塚さんと同様に、ブルーグラスの世界におられます。 福原さんが、サラリーマン生活の後、自分の店を持たれ、歌を続けておられる事は、一部では知られています。特に、TUTが卒業した後、Lost Cityは最盛期を迎え、そのハウスBandを本場に逆輸出していたのは、今にしてみても、感心し胸をはれる話です。
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