ご縁

 

The Kingston Trio

 

◆何故TUTがThe Kingston Trioをお手本にしたのか

 

 

当時我々学生アマチュアバンドがモダンフォークソングのバンドのお手本としては、我々も取り上げているThe Highway MenChad Mitchell TrioThe Rooftop Singersをはじめ、The TarriersThe Modern Folk QuartetIan & Sylviaなど沢山のバンドがありましたが、Peter, Paul & Mary(以下PPM)、The Brothers Four(以下ブラフォー)、そしてThe Kingston Trioが代表格でした。

その中でThe Kingston Trioを選んだのは、勿論メンバーに女性がいなかったこと、3人の声がブラフォーのような上品なコーラスに向いていないことにもよりますが、その力強く男性的で、型にはまらないコーラスに惹かれたことにあります。そして最初の印象では余りテクニックを必要とせずに、初心者バンドとしてはとっつきやすかったことも大きな理由です。

勿論本場アメリカでも別格の扱いを受けていたフォークソンググループであることが証明しているように、やればやるほどスルメのように味が出てくるグループであり、到底我々が足元にも及ばないグループであることは言を待ちません。

 

 

 

 

2代目The Kingston TrioNick, Bob, John

 

The Kingston Trioとモダンフォークソング

 

 

1900年に入りアメリカでは学者から放浪詩人までいろんな人達が、音楽を介して自分達アメリカ人のルーツ探しの動きが活発になり、書物や歌集が編纂される一方で、それこそアマチュアの歌手が各地の伝承歌を拾い集め、自分達なりに歌い継いで行きました。

20〜30年代に出てきたグループが「Carter Family」で、彼らは今でもブルーグラスやカントリー&ウェスタンの歌手やバンドからは敬愛されていますし、40〜50年代にはWoodie GuthriePete Seegerらのように、伝承音楽を自分達の解釈も加えて歌う歌手やグループも出てきました。

そして最初にフォークソングバンドとして商業ベースに乗ったのが、Pete Seeger達の「The Weavers」です。彼らは伝承音楽のメロディに時代に合った新しい歌詞をつけて歌ったり、泥臭さを消して洗練したアレンジで歌い始めましたが、この新しいスタイルのフォークソング(モダンフォークソング)は、当時ロックがアメリカでも多少不良のイメージがあったため、インテリ層の大学生の間で人気を博し、仲間とバンドを組んで同じような試みをする学生が出てきました。

そんな学生バンドの先駆けで、「The Weavers」がきっかけを作ったフォークソングリバイバルの動きを大爆発させたのが、1958年にレコードデビューし、「Tom Dooley」の大ヒットさせたThe Kingston Trioです。

初代のThe Kingston Trioのメンバー、Dave GuardBob ShaneNick Reynoldsは学生時代の友達で、彼らのレパートリーには、うち二人がハワイ出身であることからハワイ・タヒチの音楽や、トリオの名前の由来になっているカリブ海、メキシコ・スペイン風の音楽も多くあります。

60年代に入りベトナム戦争の雲行きが怪しくなるにつれ、戦争への抗議や平和への願いを籠めた歌詞を古いフォークソングのメロディに乗せて歌うことが始まり、いわゆるプロテストソングがモダンフォークソングの一つの重要な位置を占めるようになり、ついでBob Dylanに代表されるように、オリジナルで作詞作曲したモダンフォークソング時代が登場します。

Bob Dylanを筆頭に、Joan BaezTom PaxtonJudy Collinsなどの歌手や、PPM、ブラフォーなどのグループが大挙出現し、60年代はモダンフォークソング全盛の時代でした。

The Kingston Trioも、人気を維持し続けるために新しい感覚の曲を取り上げ始めましたが、Dave Guardは古いスタイルに固執し、メンバーから外れて自分の追及する音楽を続けるために別にバンドを結成しました。

その後釜に入ったのが、それまでもトリオに曲を提供していたJohn Stewartで、ポップな感性を持った彼は、次々と時代の流れをキャッチしたヒット曲を作り、またバンジョーだけでなく、ギターをフューチャーした曲も多く取り上げてトリオに新しい魅力を加え、トリオは第2期黄金時代を築きました。

BITに集まる数多くのThe Kingston Trioコピーバンドもほとんどが、この第2期のトリオの曲を主に取り上げていますが、Dave Guardの名前に因んだバンド「The Guardians」は、第1期のトリオの曲だけに特化して歌っているユニークなバンドです。

やがてモダンフォークソングは、より豊かな表現力を求めて、オリジナル色を強めて行き、更にロックと融合したフォークロックへと移ったり、John DenverGordon LightfootCarol Kingなどのようにシンガーソングライターとしてフォーク臭を残しながら独自の音楽を開拓して行き、ジャンルの境目が段々と曖昧になる中で、時代と共にモダンフォークソングというジャンルは、徐々にマイナーな存在になっていったのです。

日本にも丁度60年は、ベンチャーズやビートルズなどロックと、モダンフォークソングの浪が相前後して渡来し、これらの音楽に共通項である。

1) 自分達で楽器を弾きながら歌を歌う
2) コピーから自作自演へ
3) 学生をはじめアマチュアがコンサートを開いたり、レコードを製作発売するようになり、プロ化

この流れが日本の音楽シーンでも急速に広がり、モダンフォークソングも、アメリカからのコピーに始まって、オリジナルな和製フォーク、ニューフォークへと移り、日本の音楽業界の中で一つの大きな勢力になって行き、今日本で単にフォークというと、この和製フォーク・ニューフォークを意味することの方は多くなっています。

The Kingston Trioは67年に一度解散しましたが、68年にはBob Shaneが新たなメンバーを募って再結成し、その後メンバーを何人か入れ替えて今も活動を続けています。

因みに、69年トリオの来日公演の際、我々が演奏後彼らの楽屋を訪ねて彼らの前で歌ったのは、第3代目のトリオです。

 

 

 

 

3代目The Kingston Trio。TUTが楽屋へ押しかけた時のメンバー(TUTが楽屋へ押しかけた時のメンバー)

The Kingston Trio サイン

 

 

 

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The Clancy Brothers

 

 

The Clancy Brothers & Tommy Makem

 

 

84年再結成した時のThe Clancy Brothers & Tommy Makem

 

 

 

 

The Clancy Brothers & Tommy Makemとは、アイリッシュフォークソングを歌うグループで、1960年代にアメリカで、人気を博しました。兄弟は、アメリカに渡ったアイルランド出身のPatTomLiamの3人で、1955年にニューヨークでTommy Makemと出会い、4人グループを結成したものです。Makemがバンジョーとアイリッシュ笛、Liamがギター、Patがハーモニカを担当します。

最初はグリニッチビレッジの小さなクラブで演奏し始め、Pete Seeger等の他のミュージシャンとの共演も多かったようで、1962年にはカーネギーホールに出演しています。60年代、アメリカではフォークソングブームに突入し、The Clancy Brothersの音楽は、The Kingston Trioは勿論、Bob Dylanをはじめ、多くのミュージシャンに多大な影響を与えました。

彼らは、1961年にエドサリバン・ショーに出演、異例の16分の登場をし、その人気が爆発したと言われています。また1956年のThe Rising Of The Moonを皮切りに、50枚以上のアルバムをリリースしています。

その後1975年にはLiamMakemが、2人デュオを結成。残るPatTomは、他の兄弟のBobbyや従兄弟と組み、Robbie OConnellなどを加えて活動しました。ただ、Originalメンバーでも度々コンサートを開いています(1984年のように)。そして1990年Tomが他界し、Bobbyがそれに代わり、The Clancy Brothers Robbie OConnell ということで世界ツアーも行いました。

彼らの音楽は、正にアイリッシュという長い歴史と伝統にのっとり、何百年と歌い継がれた旋律や歌詞が全てのベースになっています。今は絶えてしまったケルト語での原曲も多く歌っています。勿論、英語は、アイリッシュ訛りで、発音はところどころ特殊です。

恋の歌、家族への愛の歌、神への敬愛の歌、酒の歌、放浪の歌、軍隊の歌、戦争の悲しみの歌、労働の歌。

アイルランドの、厳しくも時にやさしい大自然や、戦いが繰り返された辛い歴史に生きる、全ての人間の営みの心を歌い上げています。

時に、悲しく、しかし、それを忘れるかのように、2倍も3倍も楽しく、多くの陽気な曲を歌っています。The Kingston Trioがこの影響を受けているのは、極めて明白で、彼らの曲「Stay A While」には、Clancyの名前さえ登場してきます。The Clancy Brothersの陽気な部分は、かなりThe Kingston Trioと重なる部分があります。The Kingston Trioも、尊敬し学んだ師匠という感じと思います。

 

 

The Clancy Brothers Bob Dylan

 

 

1992年マディソンスクエアーガーデンで開催された「Bob Dylanデビュー30周年記念のコンサート」には、Eric ClaptonGeorge Harrison等キラ星のごとく並ぶロックスターと共に、The Clancy Brothers & Tommy Makemが招待され演奏していますが、その直前にBob Dylanは、東75番ストリートに有ったMakemの店に、彼のアイリッシュをたった一人で、聞きに行き、旧交を温めています。そして、更に、その大コンサート当日には、スポンサーのSonyが仰々しく用意していた超一流ホテルでの打ち上げパーティーを一喝でキャンセルし、コンサート出演者やバンドの皆を引き連れて、そのMakemのアイリッシュパブに行き、朝方まで貸切りで騒いだとのことです。そこでも、Bob Dylan自身が、LiamMakemに、「君達は、僕のヒーローだった。」と語ったそうです。実際に、若きBob Dylanは、昔グリニッチビレッジで、当時既に確固たる評価を得ていたLiam Clancyの尻にくっついて廻っていた時代があったとのことで、Bob Dylanはインタビューで、「彼は、私が出会った中で最高の歌い手だ!」と絶賛しているのは、Liam Clancyのことです。Bob Dylanは、反骨、反権力という姿勢からも、The Clancy Brothersに共感したのではと言われています。

でも何故かしらThe Clancy Brothers は、日本ではあまり評判にはなっていませんし、アルバムもあまり発売されていませんでした。これは、彼らが日本のフォークブーム(ブラフォー・PPMKTの輸入)の以前の先駆者であったことにより、Timingがずれてしまったことと、音楽の内容が、歌詞に重点も置かれたもので判りにくく、歌唱も少し土臭過ぎたせいかな、と思われます。TUTは、このThe Clancy Brothers を、神戸のLost Cityに出入りしていた当時に知り、特に野崎マスターより具体的にLPを渡され「Followしてみたら」と推奨があったものです。我々も初めは「フーン、ちょっと、とっつきにくいなあ。」なんて感じでしたが、結局、当時、無難なNightingaleという歌を最初に取り上げました。

どの時代も、日本でも、野崎さんは勿論、しっかりと本物を理解していた人達はいたのだと、今になって感心してしまいます。

要は、大人の音楽なんですよね。またLost City時代には、アイリッシュ人の方が、TUTのサポーターにおられて、ずいぶんお世話になったことも、背景にあります。我々は50歳を過ぎるころから、やっと、このThe Clancy Brothers の良さが、理解できてきた気がします。

アイリッシュは(特にThe Clancy Brothersは)、その繰り返された戦争の歴史、特に、人々が侵略と征服を受けた悲しい過去より、反戦の歌が多いのも際立った特徴です。それも、残されたもの、悲しみを背負わされたものへの思い、戦いや強制された死のむなしさを、朗々、淡々と歌っています。我々は、1960年代、アメリカのフォークソング反戦歌を聞いて、新鮮な歌のメセージ性などを論じましたが、今になって、少し浅かったな、と述懐しています。あの歌心の元は、全て、アイリッシュから来たのだ、と理解しました。そういえば、当時ベトナム反戦といっても、アメリカは、過去、戦争で苦しんだり侵略を受けたり悲しみを背負った歴史は無かったですよね。アイリッシュが、ブルーグラスをはじめ、アメリカの多くの音楽のルーツとは、理解していましたが、モダーン・フォークの歌心までとは思っていませんでした。でもまあ、アメリカは移民の国ですから、一緒に、歌も来たということですね。正に「歌に国境は無かった」と思えば判ります。

心の歌。アイリッシュの歌の詩は、実際に生きた人々の声であり、何百年の時を経て、歌い継がれた、本物の姿なのだと思います。

最後に、アイリッシュ(+スコティッシュ)フォークに関して、我々のメッセージを紹介します。

「いつか、どこかで聞いた、懐かしい歌、心和む歌、励まされる歌、そんな歌が皆さんにもありませんか?

そんな我々日本人の音楽シーンに残る歌のいくつかに、アイルランドやスコットランドの民謡があります。皆さんは、どれ位知っていますか?

“ダニー・ボーイ”、“故郷の空”、“アニー・ローリー”、“蛍の光”、“埴生の宿”、“釣鐘草”、“庭の千草”

国・民族・風土は違っても、共感を呼ぶ、心に残る音楽の“原風景”のひとつ。

フォークソングとは、自然や人の生活に根付き、人々に歌い継がれてきた、そんな音楽。

歴史の浅いアメリカで、自分達のルーツを、音楽から探ろうとした動き、それが40年前に流行ったモダーンフォークソング。学生時代、そんなフォークソングに夢中になった我々も、その後、多くの出会いと歳を重ねるほど、その真髄で、ルーツであるアイリッシュ・フォーク・ソングの、素朴さと力強さに、再び魅せられることとなり、今は、その隠れた魅力を、是非、皆さんにも伝え、共感していきたいと思っています。

時代の変化を受け入れつつ、場所や時代を超えて引き継がれていく歌の本質を、素直に受け止め、精一杯の演奏を通じて、皆さんと多くの楽しさを、心置きなく分かち合いたいと思っています。」

 

 


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