1900年に入りアメリカでは学者から放浪詩人までいろんな人達が、音楽を介して自分達アメリカ人のルーツ探しの動きが活発になり、書物や歌集が編纂される一方で、それこそアマチュアの歌手が各地の伝承歌を拾い集め、自分達なりに歌い継いで行きました。
20〜30年代に出てきたグループが「Carter Family」で、彼らは今でもブルーグラスやカントリー&ウェスタンの歌手やバンドからは敬愛されていますし、40〜50年代にはWoodie GuthrieやPete Seegerらのように、伝承音楽を自分達の解釈も加えて歌う歌手やグループも出てきました。
そして最初にフォークソングバンドとして商業ベースに乗ったのが、Pete Seeger達の「The Weavers」です。彼らは伝承音楽のメロディに時代に合った新しい歌詞をつけて歌ったり、泥臭さを消して洗練したアレンジで歌い始めましたが、この新しいスタイルのフォークソング(モダンフォークソング)は、当時ロックがアメリカでも多少不良のイメージがあったため、インテリ層の大学生の間で人気を博し、仲間とバンドを組んで同じような試みをする学生が出てきました。
そんな学生バンドの先駆けで、「The Weavers」がきっかけを作ったフォークソングリバイバルの動きを大爆発させたのが、1958年にレコードデビューし、「Tom Dooley」の大ヒットさせたThe Kingston Trioです。
初代のThe Kingston Trioのメンバー、Dave
Guard・Bob Shane・Nick
Reynoldsは学生時代の友達で、彼らのレパートリーには、うち二人がハワイ出身であることからハワイ・タヒチの音楽や、トリオの名前の由来になっているカリブ海、メキシコ・スペイン風の音楽も多くあります。
60年代に入りベトナム戦争の雲行きが怪しくなるにつれ、戦争への抗議や平和への願いを籠めた歌詞を古いフォークソングのメロディに乗せて歌うことが始まり、いわゆるプロテストソングがモダンフォークソングの一つの重要な位置を占めるようになり、ついでBob Dylanに代表されるように、オリジナルで作詞作曲したモダンフォークソング時代が登場します。
Bob Dylanを筆頭に、Joan Baez、Tom Paxton、Judy Collinsなどの歌手や、PPM、ブラフォーなどのグループが大挙出現し、60年代はモダンフォークソング全盛の時代でした。
The Kingston Trioも、人気を維持し続けるために新しい感覚の曲を取り上げ始めましたが、Dave Guardは古いスタイルに固執し、メンバーから外れて自分の追及する音楽を続けるために別にバンドを結成しました。
その後釜に入ったのが、それまでもトリオに曲を提供していたJohn Stewartで、ポップな感性を持った彼は、次々と時代の流れをキャッチしたヒット曲を作り、またバンジョーだけでなく、ギターをフューチャーした曲も多く取り上げてトリオに新しい魅力を加え、トリオは第2期黄金時代を築きました。
BITに集まる数多くのThe Kingston Trioコピーバンドもほとんどが、この第2期のトリオの曲を主に取り上げていますが、Dave Guardの名前に因んだバンド「The Guardians」は、第1期のトリオの曲だけに特化して歌っているユニークなバンドです。
やがてモダンフォークソングは、より豊かな表現力を求めて、オリジナル色を強めて行き、更にロックと融合したフォークロックへと移ったり、John Denver・Gordon Lightfoot・Carol Kingなどのようにシンガーソングライターとしてフォーク臭を残しながら独自の音楽を開拓して行き、ジャンルの境目が段々と曖昧になる中で、時代と共にモダンフォークソングというジャンルは、徐々にマイナーな存在になっていったのです。
日本にも丁度60年は、ベンチャーズやビートルズなどロックと、モダンフォークソングの浪が相前後して渡来し、これらの音楽に共通項である。
1) 自分達で楽器を弾きながら歌を歌う
2) コピーから自作自演へ
3) 学生をはじめアマチュアがコンサートを開いたり、レコードを製作発売するようになり、プロ化
この流れが日本の音楽シーンでも急速に広がり、モダンフォークソングも、アメリカからのコピーに始まって、オリジナルな和製フォーク、ニューフォークへと移り、日本の音楽業界の中で一つの大きな勢力になって行き、今日本で単にフォークというと、この和製フォーク・ニューフォークを意味することの方は多くなっています。
尚The Kingston Trioは67年に一度解散しましたが、68年にはBob Shaneが新たなメンバーを募って再結成し、その後メンバーを何人か入れ替えて今も活動を続けています。
因みに、69年トリオの来日公演の際、我々が演奏後彼らの楽屋を訪ねて彼らの前で歌ったのは、第3代目のトリオです。
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